クノレックの怠惰な日常。





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映画『星を追う子ども』感想 :: 2011/05/20(Fri)



新海誠監督作『星を追う子ども』を観てきました。

まず、最初に言っておきましょう。

傑作です。素晴らしいです。新しいけど懐かしい手触りを持った作品です。

私、この『活動漫画(あえてここではアニメと言わないです)』が大好きです。

IMG_2838.jpg IMG_2856.jpg


今回の作品は『本格ジュブナイル・アニメーション』と謳われています。

『ジュブナイル・アニメーション』とは何ぞや?といわれると明確なお答えはできませんが……イメージ的に『児童向けSFファンタジー作品』という感じを受けますよね?受けませんか?そうですか……

まあ個人的には、そういうイメージなのですね。

で、この作品の概要が発表された時に「ん?新海作品でジュブナイルって……何かイメージ違うな」と思ったものです。

その後、予告編が公開された時には「これは……まるでジ◯リじゃん!」ってツッコミを入れ……っと、それは言わない方が良いですね!(汗)

しかし、その映像から『新しい事にチャレンジしてるな』という意気込みは感じられました。

個人的に……あくまで個人的にですが、新海監督のいままでの作品イメージは『やや青臭い独り語りに合わせたテンポ良いカッティングと一枚絵としても成立しそうな美しい背景』『売り』であると思ってました。

前作『秒速5センチメートル』では、その作風が完成の域に達しており「今後も新海作品は『この路線』を追求して行くのだろう」と勝手にそう思っていたものです。

『星を追う子ども』における作風の変化は実際に観てもらった方が早いですね。

【こちらは前作『秒速5センチメートル』の予告編です↓】


【そしてこちらが『星を追う子ども』の予告編です↓】



どうでしょう?

まず『秒速5センチメートル』の予告編。台詞はほぼモノローグで構成され、短いカットがテンポ良く切り替わって行きますよね。

続いて『星を追う子ども』の予告編は。台詞は会話や呼びかけで構成され、キャラクターの動きや芝居を見せるカットで繋がれていますね。

どちらが優れている……と、いう事が言いたいのではありません。

『秒速5センチメートル』で完成された(と、勝手に思っている)新海節が『星を追う子ども』の予告編からは感じられないですよね……と、いう事の確認です。

どちらの作品も大好きです。両作とも傑作(それ以前の作品はやや素人っぽい……のが味かな?)だと思います。

さて……ようやく『星を追う子ども』について語りましょうかね。

最初に記した通り『クノレック的に大は傑作』だと思ってます。

ところがですね………

この作品、どうやら賛否が分かれているらしいです。

鑑賞前は、極力『感想』的な情報を回避しておりましたので知らなかったのですが、観賞後の興奮冷めやらぬ状態で『どんなもんじゃらほい?』とネットで『感想』を検索してみたところ………

『やや?』と正直びっくりしましたね。

思った以上に、この『変化』を拒絶している方が多い。

「このような作品を新海監督は創る必要はない」とまで言っている意見まで有りました。

おおまかに『ジ◯リだ』とか『アスナ(主人公)が旅にでる動機が弱すぎるじゃん』とか『全体的に説明不足だし』などを『否』の理由に挙げている方が多く見受けられますね。

う~ん……言わんとしている事はわかりますし……納得もできるのですが……

そうですね……あくまで個人的な見解としてですが……上に挙げた項目に対して順に自分が思う事を記していきましょうかね。

…………さて。

確かに『絵面』だけ見れば『ジ◯リっぽい』ですね。自分も最初はそう思いましたから……でも、これは第一印象レベルの事ですね。

観ているうちにそのような事は全く気にならなくなりました。

そう思わせる一番の原因であるだろう『キャラクターデザイン』は仕方ない(?)として、そもそも『ジ◯リっぽい』とは、何を保ってそう思うのでしょう?

これはあくまで自分なりの解釈なんですが『登場人物の内面的な説明が明確な台詞としてでは無く、表情や仕草による芝居付け=“画”によってなされている』ところに特徴があるのではないか……と。

しかし、これは「アニメーションが“画”を動かして、物語を紡いでいく」という事で成り立っているジャンルである以上当たり前の事に思えるのです。

『ジ◯リ』が何か特別な事をしている訳ではなく、本来ならアニメにとって『当たり前』の事柄が『わかり易い形で表面に出ている』だけに過ぎないのではないでしょうか?

自分はそう思います。

続いて……

『アスナが旅に出る理由(動機付け)が弱い』……ってのも『旅が始まった』のパート辺りは、自分もそう思いました。

が……ネタバレになるので細かくは言及しませんが……『途中で察する事が可能な作りになっている』かな……と思います。

物語の表層で語られている『シュンとの出会い…そして別れ』については、あくまでキッカケにしか過ぎないんじゃないか?と個人的には思うのです。

そもそも『旅に出る理由』は、旅立ちの段階では『アスナ自身もわかってない』んですよね。

しかし、旅の道中に見せる、アスナの仕草、表情、言動、などに『その理由』は『台詞に頼る事無く』描かれてると思います。

そして終盤に至って明確にアスナの台詞として『モリサキの旅(あえてこう表現しますが)に同行した理由』が語られますよね。

この部分が『後付け』っぽく見えてしまうのでしょうか?

『その理由』に至る描写は、振り返ってみれば、アガルタに降り立つ前の『物語の導入部から既にキチンと描かれていた』ような気がします

先ほど記した事と被る内容ですが、これは『説明が足りないというより、情報の提示が“台詞”で詳しく行われていないが故に“画”から読み取る事が“求められる”作りになっている』ように思えるのです。

アガルタの世界観がわかり辛いってのも『未知の土地』を舞台にしているのですから『このくらいの匙加減で表現されてた方が、語られていない世界への想像が広がって魅力的だな』と、自分は思うのですが……どうでしょうか?

物語の展開上、必要最低の説明はされてると思いますし……ね。

……とはいえ、まあ『否』の意見が多いのも『わからなくはない』ですね。

たぶん……この作品は『新海監督のファン層』が求めていたものと全く違う作品になっているからでしょう。

言葉に誤解が生じる恐れもありますが、あえて記しておきましょう。

何度も繰り返しこの言葉をつかいますが……あくまで個人的見解です。

『星を追う子ども』という作品は『かつての王道的な冒険活劇』を『現在の技術』を用いて『アニメーションの原点である画を動かすという行為』を追求し『現在の世の中に“活動漫画”というジャンルを確立させよう』という狙いがあったように思えるのです。

上手くまとまったとはおもいませんが『とても高い志を持った作品』であろう事が伝わっていれば良いな……と思います。

さて、長文にお付き合い頂いてすいません。

もうちょっとだけ個人的な感想を記しておきます。

この作品の登場人物で、自分がいちばん感情移入できたのは『モリサキ』でした。

彼の行動にはブレがありません。

明確な目的を持ってアガルタに降り立ち、どんな手段を使っても、どんな困難が待ち受けていても、自らの願いを成就させようと行動する……

言葉で表すと『悪役』っぽいですが、その想いの強さに共感してしまいました。

この物語の真の主役は『モリサキ』であったようにも思います。

この作品のキャッチコピーが『それは“さよなら”を言うための旅』である事や、主題歌である『Hello Goodbye & Hello』の歌詞は『モリサキ』が『この旅』を終えたときに至った心情に寄り添った内容に思えるのです。

これから、この作品を観る方の楽しみを奪ってはいけませんのでこの辺で締めたいと思います。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

……最後にもう一言だけ。

某ヤ◯カンがフ◯ク◯ルで描き出そうと志していたものは、この作品に通じるものがあるのではないか……と思うのですが……如何なものでしょう?









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